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- 2020年12月19日
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クリスマス礼拝
主の御名を賛美します。 Merry Christmas 今日は、クリスマス礼拝でした。 私たちの教会は、大和カルバリーチャペルの礼拝メッセージを毎週いただいて、礼拝を捧げています。今年は昨年までとは違って設備が進化して臨場感あふれるおおきな画面で、皆んなと一緒にクリスマスを喜びました。 礼拝の後に、教会の青年会による「したきりすずめのクリスマス」の朗読劇を行いました。(今年はコロナ禍ゆえ、充分な時間をとることができず、その中でアイディアをいただき進めて来ました。) 各々が、自主練習を重ねて、協力しあって良いものができました。来られた数名のお客様も素晴らしかったと喜んでくださいました。 一緒に会食をして喜びたいところですが、今はそれが出来ない状態で淋しいところもありましたが、最後まで神様に守られ感謝でした。
- 2020年12月14日
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牧師の思い出 パート2
俊子牧師について、今も強く、印象深く心に残っています事は、人として、クリスチャンとして愛情と、厳しさ、峻厳さがあった事です。 私達は聖書に触れて、愛と赦しを知っています。しかし、その愛を知ったものとして、どれくらい人のものさしで罪を許容し、ごまかしているでしょうか?世の中、社会の中で生きていく上で、譲歩し、罪をごまかして生きているでしょうか。 俊子牧師は、聖書を神の言葉として、人のものとして、私のものとして、与えたりする事はありませんでした。 御言葉を取り次ぐ役目として、厳しく、時に相手が辛くなる程、相手に叱りました。離れて去る人も、教会に残る人も、俊子牧師の言葉が真実であった事と、言葉の裏側まで、しっかり、その後、その人にとって有益になる事マイナスになる事、呑んだ上で、自分自身はどう思われても良いから、真実に相手を傷つけたという事です。 おととし、同じ事を「新生バプテスト教会」の田中博先生も話されましたが、今、私達が生きる世の中がどれくらい聖書の価値観からはずれ、ともすれば私達クリスチャンも人から嫌われたくはないが故に真実をゆがめ、打算して生き
- 2020年12月12日
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教会日記をスタートします
主の御名を賛美します。 今日は、敬愛する牧師が天に召されて、ちょうど3年目になる記念する礼拝でした。 ご家族はコロナ禍ゆえに残念ながら出席できませんでしたが、牧師を偲ぶ一日となりました。 礼拝の中で、同労者であった(夫の)長老から牧師の思い出の一場面が話され、神様と教会員に感謝を伝えられました。(いえ、いえ、私たち教会員は、牧師がどれほど良くして下さったか、3年たった今も感謝の思いしかありません。) 礼拝後には、牧師の歩みをふり返るスライドショーを見て(お若い姿が...)思いをはせ、その後は隠し撮りした普段の姿を映像で見ました(ほんの短いものでしたが...) 撮られるのが嫌なので貴重です...。 そして、牧師との思い出を青年二人から語られました。(次回掲載‼) 最後に青年会全員で「イエスが愛したように」を手話で賛美しました。 短い時間でしたが、心温まるひとときでした。 ″お母さん、ありがとう″ ″天国で待っていてね″ ″天国から見守ってね″